ダンスをやっているから、見られるのは全部自分で、評価されるのも全部自分だ。ダンスだけじゃなくて、芸能の方も、モデルの方も、見られる職業の人のある種の緊張感はすごいと思う。それはプロ意識が高くなるほど強くなるし、周りの人を動かし、周囲の意識を改革するほどの緊張感だと思う。5年くらい前に本格的にベリーダンスをはじめようとした時、周りの方々からはバカにされ、友達からは「無理だよ」と言われて、心が折れまくった時期がある。たぶんその時には、私にはその「見られる職業」の緊張感が明らかに少なかったんだと今になってみれば思う。しかし世の中には、そういった部分ではなくて、いわゆる有名か無名かで判断し評価する人も多く居て、そういう人の中に入ると私は全くの無名で、雑草のような扱いをされてしまうから、やっぱり心が折れそうになってしまうんですね。
ここ数年で色んなご縁があり、いわゆる「有名」である方にもたくさんお会いしたけど、やっぱり有名になるからには人を惹き付ける何かがあり、有名である所以がなんとなくわかる方ばかり。強烈なオーラというか。有名人を無意識に贔屓目で見る人はそういう強烈なオーラに惹かれているんではないかと思う。思惑は色々あれど。だから、やはり自分のオーラの足りなさに思い悩んだりするものなんだよね。
たとえば、私が誰かに何かをお願いして、全力でやってもらえない場合は、私の力不足でありオーラ不足であり意識不足であり技術不足であったりもする。だってもしも美輪さんから何か頼まれた人は、何をおいても全力でやるはず! だから、心が折れながらも毎日何かしらの精進が必要なのだと身にしみて思う。そう考えると1日24時間なんかでは全く足りなくて、あと残りの人生も短すぎる。
私は今35歳で、あと何回、ショーができるのか?月に1回ショーがあったとして、年で12回、40歳まで踊ったとして、たった60回。その中で心から自分も感動できる舞台がいくつあるだろう?たぶん3分の1も無いかもしれない。10回も無いかもしれない。体調が悪い日だってあるかもしれない。なんて、チャンスって少ないものなんだろう!あといくつ、デザインや絵を描けるだろう?こちらは1つに対して3カ月かかるとして年4作品、40歳までではたったの20作品。その中で多くの人をハッピーにできて、自分が満足できるのは、一体いくつあるだろう?? たぶん1つか3つくらいだろう。そこに辿り着けるかもわからない。 人生が70年だったら、あと残りは半分しかない。その半分の時間でどれだけ多くの人に感動してもらい、幸せな気分になってもらえる物を残せるのか?そもそもその間に何か、私が変われるのだろうか?見られるプロとして、作るプロとして、誰にもナメられないように、自分はなれるのだろうか??
こんなことを書いているのは、昨日、こてんぱんに自尊心を傷つけられる出来事があったからなのだ。うえ〜〜ん、泣きたい時も、私だってあるよ(号泣)。
そんなジレンマをかかえつつ生きていますが、これは良い兆候ととらえたいです。昨年のショー以来、すっかり閉じてしまったサードアイが開きかけているのかもしれない!ダラけてちゃダメなんだよと自分に喝を入れたい気分。次回のショーはぜひ期待して下さい!
ところで、事務的な諸事情によりチケットの発売が遅くなってスミマセン。明日からは発売できると思いますので、どうぞよろしくお願いいたします!!